けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

できるかできないか
ではなく
やるかやらないか
あるいは
できるようにするのかしないのか
を問われている。

できると思わなければできない。
それはたぶんただしい。

けれど
できると思えばできる。
できないと思えばできない。
みたいな、そんな気の持ちようの話をするときには
1日が24時間であることとか、睡眠時間を削りすぎれば動いていても効率が著しく落ちるという事実を頭に入れておかなければならない。

やる、と決めたということは限りある時間を大事に使うということだ。
脳のリソースをどこに振るか。
いま一番に何を考えるか。
いますべきことは何か。

すきやきのタレとグリーンカレー

仕事から帰ってきたとき、なんだかよくわからない疲れがあったので、
鶏胸肉を解凍して、ハサミで切って袋に入れて、1年前に買ったまま封を開けていなかったすき焼きのタレと酒と、使いきれずに冷蔵庫で眠っていたグリーンカレーのスパイスを山盛り一杯加えて揉んで、冷蔵庫に入れた。
昨日ツイッターで見かけた、つかれた人のための唐揚げレシピだ。
食べるものを無心に作っているとき、私はすくわれたような気持ちになる。

しばらくぼんやりしていたら、なんだかよくわからない疲れが「お腹減った」という感覚で認識されたので、いつも使うより多めの油を鍋で熱しながら鶏胸肉にばさばさと片栗粉をまぶして、こんがりいい色になるまで揚げた。
揚げたてをかじったら、甘じょっぱくてスパイスの複雑な香りがして、なんだか面白くなって笑った。

唐揚げは想像以上に私を幸せな気持ちにさせた。
鶏胸肉のがっしりとした質感も、すき焼きのタレとグリーンカレースパイスの複雑な味も、私が揚げ物に対して抱いている「特別なもの」という感情も、みんな私を元気にさせる。

つかれたら、おいしいものを食べる。
自分の機嫌をとるのが、ちょっとだけうまくなった。

わたぼこりにつまづいてしまう

道端に落ちているわたぼこりが気になって仕方がない。
拾わないと前に進めないんじゃないかという気がする。
立ち止まって、つまみあげるべきか、無視して通り過ぎるべきか、迷っている。
つまみあげるなら、どうやってやろうか。誰か助けを呼ぼうか。手袋をした方がいいだろうか。

本当はわたぼこりはどうでもよい。
立ち止まることの方が目的だ。
わたぼこりを理由にして立ち止まり、その先にあるものに直面したくない。
私は目の前にある優先度の高い課題から目を背けたくて、その場に立ち止まる理由を探して、ようやく見つけたわたぼこりから視線をそらすことができない。

わたぼこりにイライラするとき、私はつかれている。
そして、私には目を背けたいけれど大事な課題があり、課題を解決するため手順が見えていない。
それに取り組まない限り、「わたぼこりなんか吐息で吹き飛ばす」みたいなことさえ思いつかない。

わたぼこりにイライラするとき、私は目の前のことだけに集中したらいい。
私の生き死にや、生活に直結するであろう”目の前のひと掃き”に精神を傾けたらいい。
そうするうちに、わたぼこりは消えてなくなる。

ということに気づかせてくれる人が身近にいることを、私は感謝しよう。
私と同じ穴にははまらない、私とは違うかたちをしたあなたを大切にしよう。

いつも、目の前のひと掃きに集中できるひとでありたい。
いつも、自分が何を大事にしたいのかを見わけることのできるひとでありたい。

鏡のむこう

わかりあえない。
そもそも、わかりあいたいと思っているのだろうか。
一方的に受容されたいだけ?

私が大切だとおもうことを、最も身近な他人に同じように大切にしてもらえない。
そう思う私もまた、その人の在り様を、そのまま受け入れることができていない。

共存とは、なんだろう。
彼には彼のおもいがあり、私には私のおもいがある。
それが同じ空間に、同時にあるということは、どういうことなのか。
「そういう人もいる」と納得できないのはなぜか。
彼が正しいとおもう世界では、自分が損なわれる感じがする。
でも、彼を自分の色に染めることができたとして、私はそれで満足するのか?それは同化の強制であり、共存ではない。

「傷つけないでほしい」と伝えればいいのか。
あなたのおもいを、私に押し付けないでほしいと言えばいいのか。

私は遠くの時間を見ることが下手だ。遠近感の補正がうまくいかなくてくらくらする。
今日のことしかわからない。来年のことを話そうとすると、主語が”わたし”ではなくなる感じがする。

だから、数年先のことを明日のことのように、こともなげに話す人を見て感心してしまう。
目的地の点と現在地の点をつなぐためのルートを知識として、あるいは経験として知り、紙の上に線を引くようにそれを語る。
簡単そうにやってみせるけど、ひょっとしたら、長いこと考えて考えて、ようやくひくことのできた線だったのかもしれない。
何かを捨て、何かを選ぶことで、やっとのことでひくことができた線だったのかもしれない。

宇宙のどこかにいるかもしれない生命体に宛てた電気信号みたいに、誰に目撃されるわけでもない言葉を紡ぎ続ける。
本当は言葉を届けたい相手の名前を知っているのに、宛名にその名を記すことができない臆病者だ。
既読がついたかどうかなんて知りようがないけれど、それでもことばを発することをやめられない。