けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

笑顔がもたらすさみしさ

友人の結婚式に出席してから、うまく説明できないさみしさを感じている。
 
式はとてもよいものだった。
祝辞の挨拶で、友人はその人柄と優秀さをお世辞抜きに褒められ、
同僚や後輩からも慕われていることが場の空気から感じられた。
パートナーは溢れんばかりにあたたかな人で、
両家の家族も友人一同も、そして私も、にこにこして二人を祝福した。
 
ものすごく幸せそうに笑う友人の顔。
上司から紹介される友人の近況。
二人の思い出の写真が教えてくれる、友人の無防備な笑顔のこと。
その人が親戚や家族とどんな時間を過ごし、どんなふうに育ってきたのか。
 
そこには私の知らない友人の姿があった。
もともとよく知っているつもりもなかったけれど。
それにしたって、あまりにもその人のことを知らなかったのだと気が付いて、
そのことをとてもさみしいとおもった。
パートナーと一緒に写るはじけそうな笑顔の写真が紹介されるほどに、
さみしさがどうにも溢れて、
言葉にできない釈然としない気持ちをはどんどん大きくなって、
私は自分の感情にたじろいでしまう。
 
この気持ちはなんだろう。
優秀な友人のことが妬ましいのだろうか?
友人と結婚するパートナーがうらやましいのだろうか?
 
きっとこれは疎外感で。
あの場所で美しく語られた友人の世界に私は触れることができなかった。
そして今後もできないのだろう。
あるいは、
友人の目がとらえる世界の、
そのひと欠片も私は共有していないのではないかという予感が、
私と友人の間にひかれた明瞭な一本の線となって立ち現れて、
その断絶が私にさみしさをもたらすのではないか。