けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

頭がヒリヒリする。
3人以上の集団に数時間以上いると、そういう状態になる。
自分の発した言葉を鮮明に覚えている。その場の空気も。
反芻しては、場の空気を悪くしちゃったとか、恥ずかしかったとか、そういうことを考える。代わりに発するべきだった最適そうな言葉を、「正解」を考えてしまう。
彼らは私の言葉に大した意味を見出しているわけではない。
私はその場に居合わせた複数の人間の、その中のひとりだ。
誰かの視線や言葉が、自分の「まっとうでなさ」みたいなものをあぶりだしていくように感じて、私は小さくなっていく。自信がなくなっていく。
その場に「ただ在ること」が、ひどく難しい。

これは私の問題だ。
私の価値基準。私が信じる、まっとうさ、みたいなものの在処。
それを持たないままでは、私の器はいつもヒビだらけで、どんな水も入らない。
私はどうありたいのか。私は何を志向するのか。

私を見てほしい、あるいは私の存在を受け入れてほしい、と
私を見ないでほしい、私の存在を捻じ曲げてほしい、が混在する。
それは、どこかに絶対的な正しさがあると思うから。
絶対的な正しさなんてないと、口では言っているくせに
自分はそれを追い求めて、自分の在り様を決めかねている。
誰にでも適合するような万能な正しさを求めている。
だからいつも他者の視線が気になって、観測すべき人の数が増えるとパンクして、ヒリヒリする。