けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

ズルの代償

手足をジタバタさせて、もがくように生きる。
酸素が失われたこの空間から、一歩前の酸素のある空間へと移動するための方法は、それしか知らない。

この空間に長くとどまり続けてしまって、息が詰まりそうだ。
私は手足の動かし方を知らなかったわけではなく、動かす理由ばかりを気にしていた。何のためにそれをするのか、がきちんと自分に対して説明できなくて、その小さなわだかまりにこだわっていた。
そうしているうちに、動かさない理由を見つけることばかり上手になってしまった。

根が怠け者なのだ。自分の行動に伴う「なぜ」に答えることをいつのまにか放棄して、隙あらば目を閉じて夢を見ていたいと思うようになった。
夢を日記に書きつけて、自分のことを知った気になって、誰かとの約束をおざなりにして、そうやって毎日を雑に生きてきた。
この息苦しさは、そのように積み重ねてきたズルの代償なんじゃないかな。

その目標は、自分を奮い立たせないから?
一緒にいる人々が魅力的でないから?
この分野に明るい将来を見いだせないから?

違う。
この息苦しさの正体は、
どんな理由があるにせよ、
求められている成果を自分がだせず、頑張れない自分への焦りと怒り
だと思う。

ここは、自分の選択の末に辿り着いた場所だ。
目的も、周囲の人々も、将来も、私が自分で目の前に並べたのだ。
気に入らないなら、もう一度選び直せばいい。自分のことなのだ。自分の気のすむまで、やり直したらいい。

やり直すことは、ものすごいエネルギーを使う。
自分の場所を見つめて、ちっぽけな自分を認識し、それを受容し、自分の身の丈にあった”次”を設定するのだ。
でも、この作業を怠ると、私はいつまでたってもこの場所、この空間に居続けなければならない。それはまた、とても苦しいことだ。