けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

ちっぽけな自分の手を握ること

目標に届かなかった、とか
自分で決めた約束を守れなかった、とか。

どんな言い訳をしても、誰かが弁護してくれても、それは失敗でしかなく、
「私は失敗したことがない。ただ、一万通りの、うまくいかない方法を見つけただけだ」
というエジソンの言葉は、"失敗"は捉え方次第でポジティブな意味をもつのだとと教えてくれるけれど、
少なくとも、目の前の好ましくない結果について、
"失敗"あるいは"うまくない方法"だったということを認識しなければ、そのような発想は永遠にやってこない。

「私は失敗した」
「私はそれができなかった」
それを認めずに、どうやって次の一歩を踏み出そうというのか。

それを後悔するのも、糾弾されるのも、
失敗した後にやってくる、ごく普通の事象じゃないか。

後悔したくないんだ!認めたくないんだ!失いたくないんだ!

後悔することは、自分に力が足りなかったと認めることで
好ましくない結果を認めることは、現在の自分を否定することで
信頼や実績を(ときには友人をも)失うことは、ただただ怖い。

でもね、そうやって事実を正視しないで見て見ぬふりをしていると、
君は自分を損ない続けて、大事な瞬間を失ってしまう。

失敗したのなら、怒られて、反省する瞬間が
間違えたのなら、それを認めて、改善する瞬間が
誰かに迷惑をかけたなら、謝って、相手の反応を受け止める瞬間が
遅かれ早かれ、いつかやってくる。
それらを避けて前に進もうとするのは、ズルいじゃないか。

ありもしない大きな姿を主張してみても、実際の中身はほんの砂粒みたいだったりしてさ。
誰かに認められたい大きな虚像と、現実のちっぽけな自分、
その乖離が、この好ましくない現実を生み出した。
いま君は、好ましくない現実の数をかぞえて焦っている。

ズルを続けているとさ、君の身体か精神が壊れてしまうよ。
あるいは、君はもうすでに大きく傷ついているのかもしれない。
その失敗で、君は何を失うだろう。君は何を失ったのだろう。

欠けた身体を引きずりながら、失くしたものを見つけにいこうか。
涙をボロボロ流しながら、落としたものを探しにいこうか。

別に、同じモノじゃなくたっていいじゃない。
何かを変える機会がやってきた。
思い切って違うものを拾ってみるのもいい。
ひとつひとつ、見つけたものから順番に。

そうやって出来上がる君は、きっと以前とは別のものだ。
何度も何度も更新を繰り返して、君はまた、新しいものになっていく。

いま君には、古い殻を脱ぐための大切な瞬間が訪れている。