けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

またここに来る理由

私は日本語まじりのたどたどしい英語で質問をし、彼はきつい訛りの英語に覚え立ての日本語を織り交ぜて愛想よくこたえる。
愛想は商売のため社交辞令でふりまかれていると理解しながら、私はそれを求めて月に一度店の扉を開ける。閉店1時間前という時間のせいか、たいてい他に客は無く、いても私の注文ができあがってくる前に席を立つ。
店の客が私ひとりになると、私たちはおもむろに会話を始める。料理の中に入っている豆の名前、彼の母語に母音がいくつあるか、お茶の淹れ方、新しく買ったという眼鏡のこと。言いたいことの半分なんてもんじゃない、これっぽちも言葉にできないもどかしさを感じながら私は話す。店内にあるものはなんでもジェスチャーのための小道具になり、私は今までやったこともないおおげさな表情をつくる。言いたいことを極限まで圧縮し、ぎりぎりまでそぎ落としてわずかな語彙をあてはめる。彼の発するあやしいアクセントの単語の羅列から、ストーリーを予想して組み立てる。単語を並べただけの“会話”は、日常会話の何倍もの時間を彼と共有したような気になる。
彼は笑いながらあなたの英語は上手だと褒め、日本人はちっとも英語をしゃべらないとぼやく。私はありがとうと言いながら自分の英語のたどたどしさを思い返して苦笑する。またね、と言って店を出る。彼のくれる愛想と自信を求めて、きっと私はまたここへ来る。