けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

その他

女性として生まれたことに絶望したことはなかったが
男性として生まれなかったことを恨めしくおもったことはある。

私は自分が女であることを、できれば忘れていたい。
膨らんできたお尻も胸も生理も、自分の身体だからどうにか受け入れる。
制服のスカートも、女性用の下着も化粧も、社会の中で生きていくために必要な時には身に着ける。装いに合った所作も、演じるように行おう。

それは、ふとした違和感だ。
自分が女性であることを否定したいわけではない。
男性に生まれなかったことに絶望しているわけでもない。
女性として生きることの煩わしさから逃げたいだけかと思ったけど、どうやらそれだけじゃない。
二つに分けられたカテゴリの女という枠のなかで、ものすごく居心地がわるい。
男性と性交渉を持つ時間は、「男ではないもの」として強く女であることが求められている感じがして苦手だ。
女性の集団の中で「同じ女」として女を演じなければならない圧力を感じるのが好きじゃない。

私はできるだけ長い時間、「その他」でいられたらいいなとおもう。
私はヒトで、女で、日本人で、家族と共通の姓があり、所属機関がある。
どんな角度で切っても結局なにかしらの集団に含まれる。
カテゴリの名前を付与し、分類され、そのように自分が何者であるかを示すことによって社会の中に居場所をつくって生きている。

それでも、私は何者でもありたくない、という気持ちがある。
何者かであることの責任を負いたくないという逃げ腰の意思。
ひとつの場所に固定されてしまうような気分になって楽しくない。

でも、そんな何物でもない立場があり得るならば、
私は他者と向き合うとき、いったい「何者」として発言するのだろう。
相手との位置関係を、自分と相手の座標のズレを、どうやって認識する?
私の発言の根拠は、どこにある?