けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

できるようになったこと

この数ヵ月で、なにができるようになったのかというと、

自分をほめて、機嫌をとるのがうまくなった。
今日のことを明日に引きずらないように切り替えるのがうまくなった。
眼の前のことに集中して取り組めるようになった。
責任の範囲について合意を得てから動くようになった。
わからないことを「わからない」と言えるようになった。
できないことを「教えてほしい」と頼めるようになった。
すべての失敗が自分のせいで起るのではない、と認識できるようになった。

面の皮が厚くなって、防御力が高くなった。
ダメージを認識し、回復呪文を唱えられるようになった。
応援を呼べるようになった。
敵の姿が見えるようになった。

本当に愚かなことだけど、それくらい基本的な戦闘能力を欠いていた。
いままで、どれだけ自分のことしか見えていなかったのか、ということを思わずにはいられない。

そもそも私が掃討すべきなのは、どこからどこまでの範囲にいる敵なのか。そんなこともわからずにいた。
敵の姿も数もわかっていない状況で、それでも「やらねば」と、自分自身が無限に生み出す”責任”の海に溺れながら剣を振り回して。当然、疲弊していくはずだけど、自分が受けたダメージ量も残りHPにも気づかないから、回復呪文を唱えるタイミングを逸して。背後にいる味方の姿さえ見えずにいた。
敵をひとつひとつ片付けていかなければ、経験値も入らないし、レベルアップもしない。増殖する”やるべきこと”と”責任”、そして背後に積みあがっていく”失敗”と”申し訳なさ”の残骸がのしかかり、ぺしゃんこに押しつぶされて。「自分は何もできない」という絶望感だけが真実になって、その感覚がさらに体力と精神力を削っていく。

生き延びるために環境を変えた。それがたぶん、私にとっての正解だった。
それまでいた場所から逃げ出して、とにかく生きるためのお金を稼いだ。
お金を稼ぐのはよい。精神的にとてもよい活動だとおもう。
与えられた責任の範囲で、自分の体力と精神力を使って誰かを喜ばせ、自分の収入となる利益を生む。自分の労働とその対価の流れが明確な場所で働けてよかった。
そして、その場で「何かをできる自分」を見つけられたことがもっとよかった。ひとつひとつ順を追ってやると、私にもできることがある。
そういう環境を選んだ自分には「よくやった」と言ってあげたいし、そういう環境で私を迎えてくれた人々には感謝している。

私が最大限のパフォーマンスを発揮するためには、責任の範囲がきちんと見えていることがとても重要だということがわかった。
誰かに無言でふりかけられる「期待」と「責任」なんて、余計だと思ったら振り払ってしまおう。それは今のところ、重荷にしかならない。