けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

自分の不安が、誰かの言葉に憑依して自分に届くようなことがある。
その言葉には、物理的な発言者の感情もこもっていたとおもうけれど、私はそこからより強く自分の感情を感じ取る。
他者の期待に沿えなかったことへの自責の念や後悔、そういう感情が増幅されて、誰かが私に向けて発信した言葉にその感情を自分で乗せてしまう。
こういうのは被害妄想とか、自意識過剰とかいうんだとおもう。

そうやって自分をなだめてみても、あのメールを見るたびに胃がきゅうっとなるような、悲しくて苦しいような痛みがやってくる。
相手の言葉に私を名指しで傷つけるような言葉はひとつもない。
けれど、それまでの文脈を考えたらどうしたって、あの言葉は私の力不足を指摘し、その場を退くよう要求しているように読めてしまう。

しかし、たとえ遠回しにそういわれていたとしても、直接的にそういわれない限り私はその場を退くわけにはいかない。一度引き受けた責任なので、自分の意思だけで引き下がることもできない。
私はただその場で殴られ続けるだけで、逃げることもできない。
婉曲表現で中途半端に意見を述べるのはやめてくれ。ほんとうにやめてくれ。

今の私にできることは、任された役目を全うすることだけだ。彼がどう私を評価していようと、それは私が責任を果たさないことの理由にはならない。
私はたしかにへたれだが、へたりなりの全力を出して対応するしかないじゃないか。