けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

このごろ、内側と外側がつながってしまう。
外側のすべてが内側の投影なのだとしたら、私はついに私から逃れることができない。

外側で起る現象の無意味さを信じている。
過剰な意味づけは”そのもの”から離れていく行為だとおもっている。
それは、あくまで私の色や形をした物語で、いつだってほんとうではない。

けれど、外側と内側がつながっているのならば、外側のすべては内側によって説明されてしまう。
外側は内側によって物語を与えられることではじめて存在し、内側は外側の根拠となる。
そこに無意味さを求ることにさえ、内側の紡ぐ物語を必要とする。
ほんとう、というのは、私が作り出す物語の一部だ。
だから私はいつまでも、ほんとうのほんとう、に出会えない。

私というのが、私が紡いだ物語の箱庭にぼんやりと在るなにか、だとして、
他者は?彼らはどのように私の箱庭に入り込むのか。