けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

表情から逃げたい

表情のわかる生き物が苦手だ。
何であれ、他者の表情に自分の心が簡単に揺さぶられてしまう、という状態が心地よくない。

それがはっきりと言語化されたのは、外のベンチでごはんを食べているときに野良猫がすりよってきたときで、私は彼らの視線から逃げたい、とおもった。
なぜだろう。
私は彼(猫)の欲するものを持っていないから?
たとえ彼の欲するものを持っていたとして、それを渡すつもりがなかったから?

そもそも、なぜ私は彼に何かを渡さなければならないと思っているのか。
なぜ、彼となんらかの関係を持たなければいけないと思っているのか。
興味がない。あっちいけ。そのような応答の選択肢もあるはずだ。
なぜ、猫に脅迫されたみたいな心地になっているのだろう。

私は近づいてくるものから逃げることが苦手だ。
私を対象として寄ってくるものを切り捨てることができない。
それは、私自身がそうされたくない、と感じているからではないか。
私自身が拒絶を強く怖れていることと、深く関係しているのではないか。


観察対象として表情の見えない生物を選んだのも、そしてその状態が長く続いていることも、まったくの偶然ではないとおもう。
”彼ら”を見て、調子がわるそうだ、ということはわかっても苦しそうな、あるいは悲しそうな顔はしない(少なくとも私にはわからない)。
私が”彼ら”に対して何かをするのは完全に私の利益のためで、調子がわるそうな状況を改善しようとするのは、少なくとも”彼ら”の表情に心が揺さぶられた結果ではない。