けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

亡霊がきえるまで

亡霊が現れる。
相変わらず綺麗な白い肌をして、うつむき加減に細めた目でここではないどこかを見ている。きっとまた、広大な言葉の海で溺れたふりをして遊んでいるのだろう。ことばを拾っては並べ、眺めてはひっくり返し、裏返して覗きこむ。そうやって、精度のよい望遠鏡、顕微鏡あるいは万華鏡なのか、不思議な道具をせっせとこしらえている。いつだったか、あなたの道具越しに見た世界は奇妙に鮮やかで、私の心をぐらぐらと揺らした。

亡霊が見える。
このところ私の目は亡霊に対する感度があがってきている。どうやら、私は亡霊を見たがっている。
私の目は見たいものしか見ない。私の眼球に貼りついたフィルターは勤勉で、私の意識的あるいは無意識的な欲望に注意を払っている。欲望に応じて、入力された対象の色や形、極端なときには存在の有無まで勝手に調整・変換して脳に情報を伝達する。
「見える」ということは「見たい」ということなんだと思う。

亡霊は語らない。
そこに在る、ということ以上に干渉してくることはない。しかし亡霊の姿はいつも、私にいくつかの物事を想起させる。言葉の海、不思議な道具で覗く世界、ペンを握りしめ紙を傷つけるように書きなぐり残した思考、情念、記憶。

あなたの表皮を突き抜けてずぶりと沈む手の感覚。埋め尽くされたガラス片は美しく痛々しい。光の乱反射に眩暈がする。
私の表皮に触れるあなたの手。表皮を剥がれることへの恐怖。外皮しか持たない私は、それを失ったら存在を保てない。腐臭を放つ体液が流れ出る前に、あなたの手のひらから逃れなければならない――

亡霊が喚起する感傷に飲み込まれ、もみくちゃにされて、私は懐かしい海にやってくる。砂浜にひとつづきの足跡をみつける。辿ってみようかと考えて、やめる。波が訪れて、足跡の輪郭を少しずつ消していく。

向こうに洞窟が見える。そこへ、行かなければならない。そこに深い碧色をした泉があり、その水底に沈むことばが、私と世界をつなげる。その水だけが私を生かす。

亡霊は、まだ、いる。