けものがゆく道のむこう

いいにおいがする方へ かすかな気配をたどる道

壊れて、なくなる

自然物の模型を作った。
必要に迫られて大急ぎで作ったそれは、布やテープの質感が隠れもせず、いかにもチープで不格好だった。
けれど愛でてくれる人たちがいた。彼らが「これを使って、もっといろんなことをしてみよう」と言ったことをきっかけに、模型と一緒にいろいろな場所へ行き、作った時には考えられないくらいたくさんの人の目に触れ、驚かれたり喜ばれたりした。

ずいぶん酷使したから、当然のように模型は壊れていった。
細部から剥げ落ち、先端から失われていくのは構造上の必然だけれど、まるでオリジナルが自然界で朽ちていくのを模倣しているようだ、
と、そう思っている自分を発見したとき、その模型にただならぬ愛着を持つ自分に気づいてしまった。
壊れ方までそっくりなんて、私にしては上手に作ったじゃないか。

私とオリジナルの付き合いは9年くらいだ。仕事対象として携わる者としては、私は凡人以下だ。寝食を忘れて真摯に向き合ってきたかと言われたら「はい」と言えない。その後ろめたさが、それに向き合い続ける覚悟を鈍らせて、迷いくすぶっている。
辞める理由が見つからなかったから惰性でここまできたけれど、いいかげん、もう関わるのを辞めようと思う。
その程度の付き合いだ。

明日が、模型とする最後の旅だ。そう思ったら涙が出た。
私は模型と一緒にした旅に救われていた。それを通して関わる人や、かけてもらった言葉や、新たな自分の役割に、間違いなく拾い上げられていた。
自分の手で作ったものが、誰かに届いて、笑ってもらえて、ようやく、自分がそれと関わってきた9年間を否定しなくていい理由を見つけた。

誠実に向き合えなかった後悔を叫ぶ代わりに、誰も見向きもしない部分の造形にこだわって、前進をためらわせる言葉を一針ずつ縫い込みながら、懺悔していたのだと思う。
そうやって縫い付けた感情がすり切れて見えなくなるまで旅をして、いま、ようやくどこかに辿り着こうとしている。